リバース・コンバート現象は、ささいな偶然から発見された。
VC92年、0プラントのスタッフが気まぐれに、廃棄Vディスクに2次情報を上書きし、新しいコンバータ用ボックス・フレームにセットしてみた。最初は何も起きなかったが、自身のバーチャロン・ポジティブにあわせて負荷を段階的に上げてみたところ、突然、Vコンバータが高い活性状態に移行した。激しい自律放熱反応と共に、自らの周囲に構造物を実体化させたのである。それは、BBBユニット起動実験の際に用いられた仮設コクピットであり、スタッフが戯れにVディスクに上書きした2次情報でもあった。
画期的な発見だった。Vディスクに2次情報を上書きしてVコンバータに組みこむと、それに対応する物体を自らの周囲に実体化させるのだ。人々はこれを、「Vコンバータの自己再構成に伴うリバース・コンバート現象」、略してリバース・コンバートと呼んだ。
リバース・コンバートの応用が検討された際、Vコンバータ制御OSがMSBSであることから、かつてXMUプロジェクトで計画されていた巨大人型ロボットの機体データを使用する提案がなされた。これは早速実行に移され、実験は成功する。
リバース・コンバートのシーケンス・イメージ Vディスクに適切な情報を上書きして組みこむと、Vコンバータはそれに対応する物体を、自らの周囲に実体化させる。これがリバース・コンバートの基本シーケンスである。Vコンバータ制御OS(MSBS)が、巨大人型有人兵器専用に特化していたため、実体化も、それに準じたものに限定される。
それは奇跡的な瞬間だった。既存技術ではなしえなかったものが、ムーンゲート由来のOTによって実現したのである。巨大人型兵器を切望する妄執が物理的制約から解き放たれ、仮初めの姿として眼前にたち現れた時、人々はその幻像をバーチャロイド(VR)と呼ぶことに躊躇いを感じなかった。
実体化したVRは、搭乗する人間のバーチャロン・ポジティブに対応して実存強度が決定する。またVコンバータは、BBBユニットやVクリスタル同様、周囲にゲート・フィールドを形成し、己を包みこむ。その際、ある種の慣性制御を司る機能が発現し、機体が発揮する常識外れの運動性能の源になると同時に、高Gからパイロットを守る手段ともなった。この副次効果によって、VRは規格外の有人兵器へと大化けする可能性を秘めていた。
そのポテンシャルにも関わらず、VRに対するDN社最高幹部会の関心は低かった。業務継続のため、0プラントは有用性を実証する必要に迫られる。選択肢は限られていて、結局のところ、商品としての可能性をアピールする以外に方策はなかった。それは、かつてXMUプロジェクトが目指していた、限定戦争市場で通用する戦闘興行用兵器への道でもあった。
VC96年、当時開発中だったXMU-04-C(後のMBV-04テムジン)とXMU-05-B(後のHBV-05ライデン)は、急遽、実戦用に仕様を変更された。両機種は極秘開催された限定戦争に投入され、予想以上の戦果をあげる。試作機であったにも関わらず、VRの持つずば抜けた運動性能、戦闘性能は、従来の兵器の常識をはるかに凌駕していたのである。
結果を受け、DN社最高幹部会は、Vプロジェクトを大幅に軌道修正して再開した。当時、膨張した限定戦争市場は、しかし成長の限界を指摘され、衰退さえ危惧されていた。だが、画期的ロボット兵器の投入が実現すれば、巨利を得ることも夢ではない。そしてそれを独占できるチャンスを手にしているのは、DN社だけだった。
当初、Vプロジェクトが標榜していた「BBBユニットの再生、CIS突入システム構築」という路線は、「商用ロボット兵器(=戦闘VR)開発路線」へとすり替えられた。その一方で、本来ならば真の意味でVRとなるはずだったBBBユニットは打ち捨てられ、忘れられていった。
DN社は、VRを大々的に売り出すことを決意する。計画は第2次Vプロジェクト(通常、単にVプロジェクト)と命名され、統括責任者には、オーバーロードのアンベルⅣ(フォース)が指名された。
彼は、VRの販売をVCa0年に開始すべく、またそれまでは極秘裏に事を進めるべく、精力的に活動した。VRの生産を効率的に行なうため、9つの専用プラントを新設、傘下の軍事組織DNAには、VRを主装備とする部隊を創設した。これは、想定しうる多様な条件下で、VRのパフォーマンスをアピールすることが目的だった。あらゆるニーズに対応した数々の限定戦争契約が締結され、DNAは設立以来未曾有の規模に膨れ上がっていく。
この間、商品ラインアップとして様々なVRが開発された。MBV-04テムジン、HBV-05ライデン、TRV-06バイパー、SAV-07ベルグドル、MBV-09アファームド、HBV-10ドルカス、の6機種が主なもので、これらを総称して第1世代型VRと呼ぶ。
周辺商品の開発にも力が注がれ、特に、パイロットの育成は重要視された。VRの戦闘性能は、搭乗者のバーチャロン・ポジティブに依存する部分が大きい。つまり、人材の安定供給が、商品の成功の必要条件だった。DN社は、適性のある人間を募集、選抜し、厳格な訓練を課した。また、VRパイロットにふさわしい、より高いバーチャロン・ポジティブを先天的に持つマシンチャイルドの必要性が指摘され、開発がスタートした。
しかしこのような流れの中、DN社が一枚岩であったかというと、決してそうではない。そもそもOT由来の産物であるVRは、その安全性について、問題を指摘する声が多かった。たとえばTRV-06バイパー系の機体は、開発段階から慢性的な自壊現象に悩まされている。バーチャロン現象が引き起こす精神干渉もVRの泣き所で、搭乗者を保護するVコンバータ用シールドについては、技術的限界が常に槍玉に挙がった。
Vプロジェクトは、その巨大な利権に群がるもの、あぶれたもの、両者の確執を増幅させ、DN社を揺るがし、結果的には内部崩壊を招く遠因となった。象徴的な例として、VR誕生の最大の功労者だった0プラントは、性急な商品化の流れに難色を示したことを疎まれ、開発業務から外されている。